父の棺からこっそり髪を切り取りDNA鑑定…「結局、僕は誰の子?」 真実を知っても48歳男性の謎は深まるばかり

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【前後編の後編/前編を読む】義実家を毛嫌いし、僕を鼻血が出るまで殴った母…その“理由”を知って48歳男性は「うつ」になった
滝村栄介さん(48歳・仮名=以下同)の母は、夫の両親を嫌い、彼がスカートめくりをした時は出血するまで殴打した。母にまつわる謎が分かりかけたのは、祖父の葬儀の場。近所の人の会話から、祖父が母を襲ったというのだ。自分はじいちゃんの子なのか。だが社会人になり両親を問い詰めると父は「手を出そうとしたが俺が止めた」と言い、母は「あんたはじいちゃんの子」と主張。異なる言い分に混乱し「うつ」になった栄介さんは、世話を焼いてくれた職場の晶子さんにすがるようにして結婚。だが彼の意識は「家庭をもったから外では自由に」という方向に向かっていってしまう。
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とある交流会で知り合った女性、遙香さんのマンションに、栄介さんが転がり込んだのは33歳のときだった。
「遙香には一目惚れでした。交流会のあとで何度か一緒に食事をして、あるとき『今日は帰さない』『帰したら僕は一生後悔する』と口説きまくった。遙香は『私は不倫は嫌だから、1回こっきりでね』と言ったんだけど、僕はますます彼女を好きになり、ある日、代休をとって晶子がパートに出かけたすきに、身の回りの物を持って置き手紙をして家を出てしまった」
晶子さんを嫌いになったわけではない。ただ、遙香さんをどうしても失いたくなかった。それに世話焼きの晶子さんから少し離れたい気持ちもあった。彼女に依存していた彼だったが、いつしか晶子さんが「世話を焼く」という行為を通して、自分を支配しているような気がしてきたらしい。母に過干渉されて反発する子どものようなものだったのかもしれない。
子どももいないから、晶子さんと離婚してもいいと思っていた。身勝手な話ですよねと彼はつぶやいた。
「あの頃はとにかく、ここではないどこか、この人ではない誰かを求めていたんだと思う。晶子が古巣の職場の先輩に相談をもちかけたから、僕の不倫はすぐに社内に知れ渡った。上司から『彼女は仕事ができる人だった。きみと結婚するというから渋々、退職を認めたが、そんな彼女をどうして幸せにしてやれないんだ』と言われました。僕は知らなかったけど、その上司と晶子は以前つきあっていたことがあるらしいんです。あとからそれを聞いて、晶子への嫌悪感がわきました」
自分が不倫しておきながら、妻の過去にこだわるのもどうかと思うが、当時の彼は自分の正直な気持ちを止める術がなかったと言った。会社なんか辞めてやると言いかけたとき、別の役員からグループ会社への転籍を勧められた。この会社にいるとやりにくいだろうという配慮からだった。
「気持ちを新たにするには転職もいいかなと思いました。転職して遙香と暮らし始めて、ようやく落ち着いた。ただ、遙香は『あなたが結婚しているのでは、親にも紹介できない』と言う。それもそうだと晶子に離婚したい、話し合いたいと連絡したんですが、いっさい、応じてもらえなかった」
遙香さんは弁護士を立てて裁判すればいいじゃないと言ったが、晶子さんにはやはり「恩義」を感じていた。ことを荒立てたくもなかった。婚姻届に縛られる必要もないだろう、今、一緒にいるのが事実なんだからと遙香さんを説得したが、彼女は「私はちゃんと結婚したいの」と言い張った。
「5年くらいですかね、一緒に暮らしたのは。ある日、追い出されました。ちゃんと結婚して子どもがほしい。当時、36歳だった彼女は、もう私には時間がないと言っていた。彼女、けっこういい家のお嬢さんだったようで、ひとりなのに2LDKに住んでいたんですよ。親に買ってもらったマンションだって言ってた。僕と一緒に住んでいることは親にひた隠しにしていた。そんな中で5年も待たせたのだから、しかたないですよね。家を出てアパートを借りました」
晶子さんのもとへ帰ろうかともチラッと思ったが、今さらそれもできない。ひとりになってみると、また厭世的な気分に襲われた。
「そんなとき妹から連絡があって、父が急死したと。その前から母に介護が必要となって、定年退職した父が世話をしているという話は聞いていたんです。でも僕は現実から目を背けていた。妹は結婚して実家近くで生活していたので、ときどき見に行ったりはしていたらしい。父は母の介護に疲れたんでしょう。心筋梗塞であっけなく亡くなった」
母は定年間近に脳梗塞となり、麻痺が残って日常生活に難があった。それを父が必死で介護していたらしい。実家に戻ってみると、近所から「あんなに仲のいい夫婦だったのにね」という声が聞こえた。
「祖父が死んだときとはまったく違う近所の反応に驚きました。近所の人たちも世代交代しているし、人の噂もいつしか変化していくものなんだなと思いましたね」
淡々と父を見送った栄介さんだが、通夜の席でこっそり父の髪の毛を切り取った。もちろんDNA鑑定のためだ。思い切って鑑定してみると、父とは親子関係が成立していた。父は正しかったのだ。どうして母は「じいちゃんの子だ」と言ったのか、彼は理解に苦しんだ。
「母は脳梗塞の後遺症で、記憶障害がありました。だから今さら聞いてみても、正しい答えは返ってこないだろうと。もしその記憶があったとしても、正しく答えるつもりもないはずだし。だけどこれだけ長い期間、僕を苦しめたのはなぜなのか、祖父の孫だからなのか。でも父は自分の命をかけてまで母を介護していた。それも祖父の贖罪のつもりだったのか。わからないことだらけなんですが、わかる術がない。わかったのは僕は父と母の子だったというだけ」
長い時間を無駄にしたような気がすると彼はつぶやいた。自分の人生、ずっとそうだったと嘆く。晶子さん、遙香さんとの生活ではそれぞれ楽しい時期もあったはずだが、彼の思いはそこにはいかない。
「気持ちは破れかぶれなんだけど、僕自身、サラリーマン生活が長いから、せいぜい休みの前日に飲んだくれるくらいしかできない。そんな自分にも腹が立っていました。破滅願望みたいなものが大きくなっているのに、なにもできないんですよ」
ほんの少し視点を変えたら、何か別のものが見えてくるかもしれないのだが、自分で自分を追いつめた人には視点を変えることもできないのだろう。いったいなにに悩んでいるのか、なにを苦しんでいるのか彼自身、わからなくなっていたようだ。
「それをわからせてくれたのが、その後、出会った麻衣ちゃんです。僕が40歳のときに街で会った20歳の女性です。彼女は家出してきて泊まるところもないと言う。うちに連れて帰りました。もちろん男女関係はありません。そんな気にはなれなかった」
麻衣さんは虐待されて育った子だった。シングルマザーの母の交際相手に殴られたり蹴られたりし、さらに性暴力も受けていた。母親はそれをわかっているはずなのに見て見ぬふりをした。
「20歳にして絶望していました。僕も何度も絶望した人生だったけど、彼女ほど尊厳を踏みにじられてはいなかった。人と比べて自分がマシだというのは嫌な言い方ですが、自分自身、しっかりしなくちゃいけないなとは思いました。麻衣ちゃんは、そんな暮らしをしてきたのに明るくて優しい。落ち着いたら学校に通いたいと言っていました。家出して数日間は路上生活に近かったらしい。彼女は料理がうまくて、それもまたなんだかせつなかった。母親はほとんど料理しない人だったようで、スマホを見ながらよく自分で作っていたんだそう」
アパートを借りるのは大変だから、栄介さんはルームメイトにならないかと持ちかけた。麻衣さんに収入があれば、食費と家賃を2万円払ってくれればいい。シェアハウスより安いよ、と。
「麻衣ちゃんはすぐにアルバイトを探し始めました。やはり手っ取り早いのは夜の仕事だと言って決めてきた。そのあたりは僕は口を挟みませんでした。ときどき夜食を置いておくと、翌日は出がけに作ったのか麻婆豆腐なんかが置いてあったりした。毎月、3万円入れてくれました。彼女は3年間、必死にバイトをしながら勉強もしていたようで、お金を貯めたところで専門学校に入学しました」
専門学校に入ってからもルームシェアは続いた。そして彼女は無事に資格を取得した。その間、栄介さんと麻衣さんの間には一度も性的な関係はなかったというから驚く。
「1度だけ麻衣ちゃんがしかけてきたことはありました。お礼をしたいと言って。でも僕は心のどこかで、僕の人生に対しての贖罪をしなければという気持ちがあった。だから娘のような年齢の彼女を弄ぶ気にはならなかったし、かといって恋愛感情もわかなかった。いい子だし好きだったけど、やはり年の離れたいとことか、なんだか親類みたいな気がしていたんです」
2年前、麻衣さんは独立していった。長く一緒に暮らした娘を独立させたような気持ちだった。栄介さんは麻衣さんが毎月入れてくれていたお金を遣わずにとっておき、それを持たせようとしたが彼女は「それだけはダメ」と頑なに拒否した。
「いつかお金に困ったらいつでも言って。これを貸すからと言ったら笑っていました。今でも麻衣ちゃんとはときどき食事をしたりしています。栄介さんは私の育ての親だねと麻衣ちゃんが言ってくれたことがあって、それが僕の心の支えになっている」
麻衣さんが去ったあとは、またいつものように虚無感に打ちのめされたが、これでいいんだと満足感もあった。自分のしたことで満足したのは、麻衣さんとの件だけかもしれないと栄介さんはつぶやいた。
「僕も麻衣ちゃんのように、もっと若いころ目覚めればよかったんですよね。自分の人生をもっと大事にすべきだった。でも今からでも遅くはないのかもしれない」
そういえばと久しぶりに戸籍上の妻である晶子さんに連絡をしてみた。彼の声を聞くと、晶子さんは黙って電話を切ったという。それでもいいかと栄介さんは思ったそうだ。
「どうして離婚しないのかわからないけど、彼女がしたくないならしかたがない。自分が結婚していることはたまに思い出すし、これだけ別居していれば離婚も成立するはず。でもそれもめんどうなので」
この先の人生に大きな期待を抱いているわけではない。思い起こせば、大恋愛をしたこともない。いつでも感情を表さずに淡々と生きてきたつもりだったと彼は言う。それでもいい出会いがあれば、生き直すことは可能なのかもしれないと、この年でようやくわかったと彼は少しだけ笑顔を見せた。
***
当初の結婚生活では自ら破滅に向かうような振る舞いをしてしまった栄介さん。やはりその“出自”が関係しているのだろうか。疑念に苛まれたその半生は、記事前半で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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